会社概要
商号 | 白崎建設株式会社 |
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創業 | 明治18年8月 |
資本金 | 5,000万円 |
売上 | 21億6048万円(2023年度) |
設立 | 昭和25年10月 |
建設業許可 | 令和3年10月3日 北海道知事許可(特-3)釧第00038号 |
許可業種 | 土木工事業、建築工事業、大工工事業、とび・土工工事業、鋼構造物工事業、舗装工事業、しゅんせつ工事業、水道施設工事業、解体工事業 |
事業目的 | 土木建築請負事業及びこれに附帯する一切の業務 |
社員数 | 44名(職員37名・作業員7名)※2024年3月現在 |
本社所在地 | 釧路市城山1丁目10番5号 |
札幌出張所 | 札幌市清田区平岡10条1丁目12番20号 |
帯広出張所 | 帯広市東6条南11丁目 |
グループ企業 | 東道路株式会社(舗装工事) 拓北地下開発株式会社(地質調査コンサルタント) |
社長挨拶
代表取締役社長
白崎 義章
当社は明治18年8月白崎次郎松が当地に創業して以来、130年を超える歴史の中で、釧根地域の中核企業として東北海道の基盤整備の一翼を担うべく、国道、橋梁、港湾、空港等の多岐に亘って数多くの土木工事を手掛け、現在は道東自動車道の延伸工事や釧路港の整備工事にも参画しております。
更に、災害発生時には地域建設企業として社会的責任を果たすため、社内BCP(事業継続計画)が発動することになっており、自社の事業継続に加え、行政と連携した地域インフラ等の早期救済・復旧といった社会要請にも迅速に応えていきます。
今後とも社是である「技術と信用で地域に貢献する」を使命として人材育成や技術力の研鑽に努め、多様化する地域のニーズに対応すると共に、災害に強い企業を目指して会社一丸で取り組む所存でありますので倍旧のご指導、ご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
沿革
会社の歴史
弊社は、明治18年に白崎次郎松が石川県から来釧し、大工請負業を創業したことに始まる。
大正 4年幣舞橋(木橋)補修工事において長男の白崎活作が不慮の事故で、大正5年には創業者が相次いで急逝したため、二男の白崎正治が18歳で家業を受け継ぐこととなった。
正治は、同年それまでの下請業から元請業に転換すべく『白崎組』を設立し、官公庁主体の土木建設業へと進出した。また、当時の土木工事は、土をスコップで動かし、モッコ(網目状に編んだ土石等の運搬道具)で運ぶという人力のみに頼っていたが、正治はモッコをリヤカーに変えて運ぶという当時の常識を打ち破る方法を考え出した。その作業方法は瞬く間に釧根の建設業者に広がり、作業効率の向上に大きな役割を果たした。
その後も工事の機械化に取り組み、戦前は米国製トラクターで木橋の杭打作業や桁掛け作業を行い、戦後においては道内の民間企業としては初めてブルドーザーを導入し、釧路川改修工事に投入するなど、機械化による更なる効率化と技術力の向上に努めた。
昭和25年には戦後の経済復興に貢献すべく『白崎建設株式会社』に改組した。
昭和27年に発生した十勝沖地震の災害復旧工事(釧路川左岸築堤工事、釧路開建発注)の入札においては、管外大手業者に対抗するべく、北海道で初となる地元業者によるジョイントベンチャー(共同企業体)という請負形態で落札し、地元業者の結束に挺身した。
一方、まだ海外渡航が珍しかった昭和35年には、北海道建設業協会の渡米訪問団の一員として、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、ニューヨークなど、34日間に亘る視察旅行に参加し、機械施工や入札制度、安全対策、協会のあり方など、建設業界が直面する課題について見聞を広め、社業並びに地元建設業界の発展に寄与した。
このように常に新しいものや情報を工事に取入れてきた正治のチャレンジ精神が、今日まで弊社が培ってきた技術力の礎を築くこととなった。
また、昭和21年には新たに創立した釧路建設工事業組合の初代組合長、昭和23年には釧路地方土建協会初代会長、昭和29年から昭和36年までは釧路建設業協会の会長を歴任し、釧根建設業界の発展に尽力した。
昭和45年には正治の下で社業に従事していた長男の白崎功一が三代目社長に就任した。
功一は、釧路市発展の一大プロジェクトである釧路港西港区の港湾建設をはじめ、釧路空港の滑走路拡張及び海霧の影響による欠航を解消する計器着陸システムの性能向上(ILS CATⅢa)事業といった空港建設や、近傍の数多くの漁港建設を手掛けた。
また、平成5年の釧路沖地震(震度6、M7.8)、平成6年の北海道東方沖地震(震度6、M8.1)で被災した釧路川、釧路港、霧多布港の災害復旧工事においては、地盤改良や液状化対策の新技術・新工法を駆使して復旧にあたるなど、地域に根ざした地元企業として道東地域の社会基盤整備の一翼を担ってきた。
一方、昭和55年から平成10年までは釧路商工会議所の建設部会長として、昭和63年から平成5年までは釧路建設業協会の会長として業界発展のためにリーダーシップを発揮した。
平成11年には長男の白崎義章が四代目社長に就任し、すでに関わっていた釧路港西港区、釧路空港、管内漁港、道路改良工事はもとより、釧路市内の旭橋や富士見坂、釧路川改修工事、釧路市立中央小学校や釧路市立釧路小学校の外構工事のほか、治山工事や草地整備なども手掛けてきた。
また、平成17年から進められている北海道横断自動車道整備事業や、平成25年からの「国際バルク戦略港湾」に選定された釧路港における「国際物流ターミナル整備事業」にも参画するなど、地域に貢献する地元企業として事業を展開している。
現社長においては平成22年に釧路建設業協会及び釧路市建設事業協会の副会長、平成26年に創立100周年を迎えた釧路建設業協会の16代目会長に就任するとともに、釧路商工会議所においては、建設部会副部会長、地域開発委員長を歴任、令和元年から副会頭に就任するなど、親子三代に渡って業界の発展に取組んでいる。
会長就任直後の平成26年10月には、東日本大震災を踏まえ、北海道建設業協会傘下の地方会員としては初となる「事業継続計画(BCP)」を策定した。併せて社内の「事業継続計画(BCP)」にも着手し、平成28年4月から運用をスタートさせた。
平成30年1月には、大津波時の情報収集や応急活動の拠点となる災害対策機能を兼ね備えた新たな釧路建設会館を建設するとともに、同年2月には、「情報を共有し、被害拡大を防ぎ、早期復旧に努める」ため、釧路開発建設部、釧路気象台との間で『大規模災害時における相互協力に関する協定』を締結するなど、迅速化で効率的な災害活動支援の構築に努めている。
1885(明治18)年 | 白崎次郎松が石川県から来釧し、大工請負業を創業 |
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1916(大正5)年 | 創業者の白崎次郎松が逝去 白崎組(土木建設業)を設立し、白崎正治が組長に就任 |
1950(昭和25)年 | 白崎建設株式会社に改組し、白崎正治が社長に就任 |
1955(昭和30)年 | 帯広出張所を開設 |
1961(昭和36)年 | 中標津出張所を開設 |
1963(昭和38)年 | 釧路市城山に新社屋が竣工し、本社を移転 |
1966(昭和41)年 | 札幌出張所を開設 |
1970(昭和45)年 | 白崎正治が逝去 白崎功一が社長に就任 |
1978(昭和53)年 | 本社社屋を増築 |
1981(昭和56)年 | 中標津出張所を廃止 |
1985(昭和60)年 | 創業100周年 |
1999(平成11)年 | 白崎功一が会長に就任 白崎義章が社長に就任 |
2019(平成31)年 | 白崎功一が逝去 |
社章の由来
イゲタは、創業者で大工の棟梁であった白崎次郎松の創意。“H”は、北海道を示す。
当社の特徴
歴史が長い
明治18年(1885年)8月創業
釧根地域における建設会社の団体、(一社)釧路建設業協会の中でも創業137年と古い歴史を誇ります。
先駆的な会社
業界の中でも“新しいもの“を積極的に取り入れる先駆的な会社です。
- ブルドーザの購入・情報化施工の導入
- JV(複数社で工事を請負う組織)の導入
- 2016年以降ICT建機(i-Construction)の導入
地域に密着
- 釧路のインフラ整備「国際バルク戦略港湾」「北海道横断自動車道」
- 除雪
- 地域貢献
- 災害時の復旧
除雪
災害復旧(上庶路)
復旧後
グループ企業
総合建設業の「白崎建設株式会社」、舗装工事の「東道路株式会社」、地質調査の「拓北地下開発株式会社」、建設資材商社の「株式会社Y・T」、以上4社で白崎建設グループとして北海道の地域インフラ整備に寄与しております。
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株式会社Y・T
(本社)北海道釧路市城山1丁目10番5号
TEL 0154-65-6679